皆さまおはようございます!!
週末はゆっくり過ごせましたか?
私はジムに行って筋肉痛です。
でも、もうちょっとやっておけば良かったと後悔しております。
さて、今日はいよいよ入院3日目、出産のことについて書いていきます。
無痛分娩
私は、妊娠当初から無痛分娩を希望していました。
それは、無痛分娩だと体の回復が早く、出産後の育児をするのにも支障が少なくなるだろうと思ったからです。
理玖が亡くなっていると分かった時、正直無痛分娩ではなくて、麻酔のない一般的な分娩方法で産もうかと迷いました。
亡くなってしまっている以上、理玖の為にしてあげられることは本当に少ないので、痛みをちゃんと感じて産んであげた方がいいのではないかという考えが浮かんだり、産後に育児の必要がない以上無痛分娩で産む必要があるのかと思ったからです。
しかし、コロナ禍で夫が分娩に立ち会えないことや、夫が「無痛分娩でも、ちゃんとした出産には変わりないし、そのままでいいんじゃない?」と言ってくれたこともあり、当初の予定のまま無痛分娩で産むことにしました。
しかし、結果的に無痛分娩にして良かったと思います。
産後の回復が早い…のかどうかは1人目なので分かりませんが、産後からお別れまでの間の準備をするのに体が動かなくて出来ないということがなかったからです。
いよいよ出産
それでは、出産について書いていきます。
3日目の朝、先生にラミナリアを抜いてもらい、子宮口が4センチまで開いているということで、陣痛促進剤を入れることに。
この陣痛促進剤っていうのがやっぱり体に影響が出てくるものなので、時間経過ごとに量を増やしていくんですが、量を増やす時には必ず体温や血圧を測って、助産師さん2人で目視して確認してました。
よく促進剤入れて産んだっていう話を聞きますが、こんなに大ごとなんですね。
それだけ出産は命懸けってことですねぇ。
さて、MFICUの分娩室に移動した私。
この日の助産師さんであるWさんのことは忘れることが出来ません。
分娩室に入ってくると「今日担当しますWです。よろしくお願いします。ベテランほどの安心感はないかもしれないですが、何かあったらいつでも言って下さいね。」と笑顔で挨拶してくれました。
しばらくして先生が来て無痛分娩の麻酔措置。
先生は、「促進剤がどれくらい効くかにもよるけど、なるべく今日産まれるように考えてます。産まれたらなるべく早くご主人にも会ってもらえるようにしますね。」と話してくれました。
コロナ禍なのに配慮してもらってありがたい。
そんなこんなで午前11時半頃には、子宮口9センチに。
この時、Wさんではない助産師さん(この人もいい人)に「赤ちゃん順調に降りて来てるから、今日産まれるよ」と教えてもらい、あぁ、遂に産まれてしまう。お別れに近づいていく。と思って泣いてしまう。
そしたら助産師さんが「そうだね、気持ちが追いついていかないよね。」って声を掛けてくれました。
私はうんうんと頷きながら、「でもここまで大きくなって頑張ってくれたんだからちゃんと産んであげたいです。」と答えました。
そして午後1時29分、出産。
Wさんが取り上げてくれました。
先生は「おめでとうございます。」って言ってくれました。
人によっては、めでたくなんてないって思う方もいるのかもしれないですが、私にとってはとても嬉しい言葉でした。
産まれてすぐに抱っこさせてもらいました。
まだ温かい。だけど動かない。泣くことも目を開けることもない。
「理玖頑張ったね。偉かったね。頑張った頑張った、偉いよ。」そう泣きながら声を掛けるのが精一杯でした。
少しして夫が来ました。
コロナ禍で熱があると病棟に入れないので、慌てないで下さいねって言われていたのに、急いで来たから熱が高くて最初は入れなかったみたいです。
夫は、来てからずーっと理玖を抱っこしていました。
助産師さんに「重くないですか?大丈夫ですか?赤ちゃんでも2400グラム近くありますからね」って言われても理玖を抱っこしたままでした。
夫は私と同じかそれ以上に本当に産まれるのを心待ちにしていましたからね。
10ヶ月間お腹の中で目一杯育てて、楽しみにしていた瞬間。
この日の為にお酒も我慢して、食事にも気を使い、重いお腹での日常生活にも耐えてきた。
思い描いていたのとあまりにもかけ離れた現実。
だけど、亡くなっていても、我が子は可愛かったです。
体重2384グラム、身長49センチ。一生忘れることはありません。
あの、小さな小さな胎嚢の頃から、こんなにも大きく育ってくれて、ありがとう、理玖。
壮絶というよりは、無痛分娩だし、産声もないので静かでしたが、生涯忘れることはありません。
悲しくも愛おしい瞬間でもあります。
今日はこの辺にしておきましょう。
それでは、仕事行って来まーす!!