おはようございます!!
今日は全国的に春の嵐になるようですね。
私の住んでいる地域でも雨が降っています。
さて、今日は産後2ヶ月半頃、どうしても苦しくなってしまった時のことについて書きながら、「一人じゃない」とはどういうことか考えてみたいと思います。
苦しい、辛い、逃げたい
産後2ヶ月半くらい経った頃の土曜日、些細なことから夫と喧嘩になりました。
具体的にどんな話をしたかはよく覚えていませんが、理玖のことやその後の私の体調に関することだったと思います。
それで、喧嘩している時に、「あぁ、結局同じ親だから子どもを亡くした辛さは分かると言っても、夫は自分が産んだ訳では無いのだから、産後2ヶ月で体調が悪い中職場に復帰しなければならない辛さとか、妊娠出産で生じた身体の変化や体調不良とか分かる訳じゃないんだな。」と思いました。
そして更に腹が立ったのは、そういう私の状況を理解しようともせず「俺だって子どもを亡くして同じように辛い」と言ったことです。
子どもを亡くした辛さは親としては同じなのかもしれない。
でも、女性の場合は自分が産んでいる訳だから、当然身体にも影響はあるし、産むために仕事だって休んでいる。
その辺りが夫に全く理解されていないなと感じました。
そうしたら、なんか今まで心の中に抑え込んでいた気持ちが溢れ出してしまって、
産後2ヶ月で体調が悪い中職場に復帰していることとか
職場で鏡を見た時に、確かに産んだのに自分は何で今ここにいるんだろうと思うこととか
誰もこの気持ちを分かってくれないとか
何の為に仕事行っているんだろうとか
何の為に生きているんだろうとか
よく分からなくなってしまったんですね。
なんかもうこんな思いまでして生きていなくてもいいかなって。
死んでしまった方がどんなに楽だろうと。そう思いました。
不思議なものでこういう時って自分でも止められないんですね。
この落ちた気持ちというのは。
どんどんどんどん引っ張られていくというか…。
それで、山で死のうと思って車を運転して山に向かいました。
そして最後にもう一回だけ夫の気持ちを確認しておこうと思って、道の駅に寄って電話したんですね。
こういう時でも、死に損になるのは嫌だという思いがあったんですね、自分で死にたいと思っているのに。
なんかとても不思議なんですよ、この時の気持ちって。
理性と感情が入り乱れるというか。
死のうと思っているのに、4時から骨盤矯正があるから生きるならそれまでに結論出さないととか考えてました。
結局夫と話し合って帰ることになったんですが、これは予想外に道の駅に人が多かったこともあるかもしれません。
結構な人がいて、車の中で泣きじゃくっているのもなんか恥ずかしくなったというか。
それで我に返ったという部分もあるかなと今となっては思います。
一人じゃないという意味
死産した頃って、「一人じゃないですよ」っていうメッセージをSNSとかで発信されている方を目にしていたんですが、この「一人じゃない」っていう意味が当時の私にはよく分かりませんでした。
同じ経験をした人がいるよっていうくらいのメッセージとしてしか捉えていませんでした。
私には同じ子どもを亡くした夫がいるし、夫とは何度も話し合いをして来ていたので、分かってくれるものだと思っていたからだと思います。
でも、やっぱり当事者でないと分からない苦しみというものはあるんですよね。
それは、夫が理解を示してくれようとくれまいと関係なくて、実際に体験しているかどうかの違いです。
理解しようとすることはもちろん大事ですけどね、でも理解しようと推し量ってもそれはやはり限界がある。
相手が分かってくれているものだと思っているからこそ、全然分かってないじゃんってなった時に絶望しか残らなくなってしまうのだと思います。
そうなった時に、じゃあ誰がこの私の辛い気持ちを分かってくれるのか?誰もいないのか?
いや、そうじゃありません。
同じ経験をした多くのママさん達がいます。
それぞれ事情は異なるかもしれないけど、当事者だからこそ分かるこの苦しみや辛さを理解してくれる人が絶対にいます。
私もSNSで同じ状況のママさん達と繋がってどれほど助けられたことか。
「一人じゃない」これって本当に素敵な言葉だなと思います。
今、もしあなたが苦しんでいるなら、私でもいいし、他のママさん達でもいい、同じ経験をされた方々に気持ちを打ち明けてみるのもいいかもしれません。
私に連絡下さる場合は「お問い合わせ」欄から送って頂ければ他の方にメッセージを見られることはありません。
ただ、私は心理の専門家ではないので寄り添うことしかできないと思いますが、その辺りはご承知おき下さい。
それでは、今日もよい日曜日をー!!