おはようございます!!
今日からは私自身の死産経験について書いていきたいと思います。
※辛く悲しい経験が出て来ますので、気分が落ち込んでしまう方はご注意下さい。
今日の内容はこちら
妊娠経過
2020年1月半ばに妊娠していることが分かりました。
初めての妊娠でした。
2月半ばになって出産予定日が9月15日と決まり、母子手帳を貰いに行きました。
その後つわりが始まり、3月には仕事を2週間ほど休みました。
4月には両家の親が揃って戌の日のお参りに行き、安産祈願をしました、
理玖は両家にとって初孫であり、どちらの両親も産まれてくるのを本当に楽しみにしていました。
そして、その想いに応えるように、理玖は順調にお腹の中ですくすくと育っていったのです。
私の体調については、糖負荷検査が再検査となりましたが、2回目の検査で陰性となり、特に問題はありませんでした。
7月下旬に産休に入る時には、上司から「くるりさん、産休入るのかぁ、寂しくなるなぁ」と言ってもらい、帰る時には同僚の人たちが駐車場まで見送ってくれました。
この子はこんなに沢山の人に祝福されながら産まれてくるんだなぁと思ったのをよく覚えています。
感じた異変
いよいよ予定日間近となった妊娠39週(9月7日)の妊婦検診の時、前の週の検診と比べて理玖の体重がほとんど増えていませんでした。
普段の検診の時から、体重や身長は誤差があると言われていて、あれ?増えてないな。大丈夫かなと思いましたが、誤差があると言われて仕舞えばそれまでなので、特に何も助産師さんには伝えませんでした。
また、助産師さんが計測をするのにも一苦労なぐらい理玖は動いていて元気な様子でした。
この日は助産師さんが検診してくれる日で、先生の診察はありませんでした。
この日の子宮口の開き具合は2センチ。
助産師さんは、あと2週間以内には産まれると思うよーと言っていました。
子宮内胎児死亡宣告
39週の妊婦検診から6日経った9月13日、この日は体調が優れなくてソファで横になって寝ていました。
しばらく横になっていましたが、胎動を感じなかったので、あれ?おかしいなと思いましたが、その時は気にかかりながらもそのまま眠ってしまったのです。
そして深夜、前駆陣痛が来て目が覚めました。
しばらく起きていましたが、陣痛は遠のいていきました。
また前駆陣痛か、いつ産まれるのかなと思っていた時、前日に胎動を感じなかったっことが気になり始めました。
そこでインターネットで調べたところ、胎動がないと思って病院に行ったら亡くなっていたという記事を目にしたのです。
そんなこと、あるの?読んだ時の正直な気持ちでした。
記事には確か、1時間様子を見て胎動がなかったらすぐに病院に行った方がいいと書かれていました。
そこで、時間を測って様子を見たところ、1時間経っても全く胎動は感じられませんでした。
私の気のせいなのかな?でも、もし今亡くなっていたとしたらそんなの耐えられない。
一応病院に行っておこう。と思い、寝ていた夫を起こして病院に向かったのです。
家を出たのが午前5時過ぎ、病院に着いたのが午前5時半頃だったと思います。
病院に着くと助産師さんがすぐNSTをしてくれました。
なかなか心音が見つからず、別の助産師さんを呼び、エコーをしてくれました。
私はこの間も、NSTの助産師さんはお腹の左側に機械を当てており、理玖がいるのはいつもお腹の右側だったので、違う部分に機械を当てているから見つからないんじゃないかと思っていました。
そう思いたかったんだと思います。
エコーをしてくれている助産師さんは、もう1人の助産師さんに、「先生呼ぼう」とだけ言って、私からエコーの画面が見えないように座り、再びエコーでお腹の様子を見始めました。
どうなっているんだろう。でも大丈夫だよね?
根拠は何もありませんが、漠然と亡くなるはずがないと思っていたんです。
自分の身にそんな不幸が降りかかるはずがないと。
しばらくして、先生が2人入ってきてエコーを確認し「赤ちゃんの心臓が止まっています」と告げられました。
「ここが心臓です。」と言われ、エコーを見せてもらいましたが、いつもの検診で見ていた心臓ではなく、止まってしまっていることがはっきりと分かりました。
なんとなく助産師さん達の様子からおかしい、何かあったのかなとは思っていたものの、信じたくなかった、大丈夫だと思っていたかったところに、あまりにも悲しい現実を突きつけられました。
人間というのは不思議なもので、あまりにも残酷すぎる現実を突きつけられた直後というのは涙が出ません。
というより、言葉は理解出来ても衝撃のあまり事実を受け止め切れないのかもしれません。
私もこの時、「心臓止まってるんですか?何でですか?」と聞いただけで、特に取り乱すこともなく、泣く訳でもなく、「主人に説明させて下さい」とだけ言ったことを覚えています。
そして診察台から降りて隣の部屋に移動する時、ようやく涙が出てきて状況を理解し始めたのです。
夫を呼ぶ前、付き添ってくれた助産師さんが、「お母さんは何も悪くないよ、ただこうして気付いて病院に来てあげたってことが大切で、それだけで十分だよ」と言ってくれました。
私はただ頷くことしか出来ませんでしたが、今となってはこの時の助産師さんの言葉に何度救われたことか分かりません。
少ししてから夫が部屋に呼ばれ、2人で話をする時間が設けられました。
「赤ちゃん、お腹の中で亡くなっちゃったんだって」
言いながらどんどん涙が出て来ます。
もう後はひたすら2人で泣き続けるしかありませんでした。
2人でしばらく泣いていると、出勤してきた主治医の先生と助産師さんが入って来て、今後の流れ等について説明してくれました。
このまま入院することも出来るし、一回家に帰って数日後分娩予定について決めることも出来るということでした。
私は、もう亡くなっているのだし、すぐにお腹から出してあげた方がいいと思い、このまま入院すると言いました。
ですが、先生と助産師さんは、一度帰宅した方がいいと考えていたようで、一度自宅に戻ることになったのです。
今思い返せば、一度自宅に帰って夫と話を出来るようにしてもらえて本当に良かったと思います。
とは言っても、自宅に戻っても2人とも泣き続けることしか出来なかったのですが…。
この後入院した時に、なぜ帰ることを勧められたのかよく分かったのです。
今日はここまでにしようと思います。
なかなかヘビーな内容ですが、読んで下さってありがとうございました。
それでは、今日も仕事行って来まーす。
初めまして。
私も昨年12月に38週で原因不明の子宮内胎児死亡となりました。31歳、初めての妊娠でした。私も臨月までくれば後は産まれるだけ…と考えており、全く予想していませんでした。37週の健診で前の週からほとんど赤ちゃんの体重が増えておらず、不安に思いつつ過ごしていたところ、胎動が感じられなくなり、病院に行くと既に心臓が止まっていました。
状況が似ているなと思い、普段はブログ等にコメントすることはないのですが、思わずコメントを送らせてもらいました。
来週から仕事に復帰するので気が重いな〜とか考えつつ、ネットサーフィンしていたらこのブログにたどり着きました。
いつも仕事に行く前にブログを更新されているようで、同じような経験をされた方でも仕事も頑張っていってらっしゃるんだなぁ。。と思い、勇気づけられました!私も来週から頑張りたいと思います^^
コメントありがとうございます^^
めちゃくちゃ嬉しいです。
決して見つけやすい状況ではないのに見つけて頂いてコメントも頂けるなんてありがたいです。
状況本当に似ていますね。
辛い思いをされたことと思います。
体重って微妙なところで、不安に思いつつもそれを理由に詳しい検査してもらうとか、妊婦側としてはなかなか言い出しづらいですよね。
ましてや私もそうでしたけど、初産で以前に妊娠した経験がある訳でもないとなるとなおさら。
病院側でも普通に対応されているし、私の気にしすぎかなぁなんて。
今度もし妊娠して同じようなことがあればその時は絶対に言いますけど。
来週から仕事復帰されるのですね。
仕事復帰は心身共にハードルものすごく高いですよね。
私も復帰するまですごく嫌でした。
どんな顔して行けばいいんだろうとか、仕事中に泣けてきてしまったらどうしようとか色々考えていました。
行くまでは不安ですけど、行きだすと、
頭の中が仕事中は仕事のこと考えて死産のことはちょっと傍に置いておくみたいな感じになったり、
家にいるよりも多くの人に会ったりする
のでいい気分転換になる部分もありましたよ。^^
ただ、産後2ヶ月では体調的にも万全の状態ではなかったので、調子が悪い日は休んでました。
体は最近になってやっと安定してきたかなという感じです。
えもさんも、無理せず自分のペースで頑張って下さいね。